|
|
|||
|
|
走行距離 10660km |
Dion |
|
|
|
|||
| * オリュンポスの麓、水没したイシスの聖域 | |
|
|
マケドニア・トレイルと、ぼくが勝手に名付けた今日の行程は、ペッラから南下し、オリュンポス山の麓、ディオンを目指した。 途中でふと我れに返ったのだが、これは遠い… エデッサから180キロもあるじゃないか。気軽に日帰りする距離じゃないような気がしてきた… もう取り返しがつかないので、ひたすら南に進む。 そろそろオリュンポス山が見えてきてもいいはずだと思うが、なかなか見えない。と思ったら、近くに巨大な影があることに気付いた。すぐ目の前に、壮大な影が、霧に煙りながらそびえているのだ。これがオリュンポスだ。その大きさ、その姿、ぼくは畏怖すら覚えた。神々しいとはこのような場合に使う言葉なのだろう。これは本当に神々の住まう場所だ。 やがてディオンに到着し、車を降りて驚いた。空気が清涼で、甘いのだ。普通に呼吸していても、甘くてかぐわしい空気に肺が満たされる。吹き降ろすそよ風がこずえを揺らす。この山は本当に特別な場所なのではないだろか。 古代ディオンの周辺には、レストランの並ぶ通りもあり、なかなかいい雰囲気。愛想のいいおばさんの店で、ピタ・ギロスを食べた。2ユーロ。子供がテレビを見ながら宿題をやっていた。 ディオンは、オリュンポスの神々を崇拝したマケドニア人にとって、神聖な都市だった。アレキサンダー大王は、東征に出る前に、ここで大規模な生贄を捧げたと、紀元前1世紀の歴史家ディオドロス・シクロスも書いている。 この都市の起源は不明だが、最初は豊穣の地母神を崇拝していたようだ。それが、しだいと他の神々を奉ずるようになった。 ここも遺跡とミュージアムがセットになっている。 遺跡は広い。ものすごく広い。何もない草原が大部分を占めているのだが。かつての住居跡、共同浴場跡、キリスト教の教会跡など、さまざまなパートに分かれている。 ディオンの都市は5世紀まで栄えたのだが、地震や洪水といった天災のために、住民たちは街を放棄し、オリュンポスのさらに近くに移り住んだそうだ。これほど栄えた街が滅び、土に埋もれ、忘れ去られるというのが、不思議でならない。 ぶらぶら歩いていると、イシスの聖域と呼ばれる場所に出くわした。これはすごい!こんな光景は初めてみた。 イシスはエジプトの女神だが、ここでも崇拝の対象となっていた。彼女に捧げられた神殿の遺構が、その基部が水に沈み、深々と草の奥に隠されながら、残っているのだ。 なぜこんなに心を動かされたのだろう。 常々ぼくは、文明は滅ぶのだ、ということを考えてきた。どうして文明は滅ぶのだろう、ということも考えてきた。ぼくたちの文明もいつか滅ぶのだろうか、ということも考えてきた。 だから瓦礫と化した遺跡が好きで、その中で思索することが好きなのだ。 柱は倒れ、壁は崩れ、女神の腕は折れ、草が生え、水に沈む。この遺構は、ぼくの考えてきたことを、詩的な形を取って現れた、ある種のエピファニーではないかと感じたのだ。 そして、たとえ文明が滅んでも、その遺伝子は残るのだ、ということにも心を動かされた。 イシスはエジプトの女神だ。古代ギリシャはエジプトの影響を多分に受けて、文明を開花させた。エジプトとギリシャは地中海を隔てて非常に近い距離にある。クレタの宮廷にもエジプト人は大勢やって来ていた。 そして、ギリシャはローマに受け継がれ、ローマから全ヨーロッパへと。さらにルネッサンスを経て、現代まで脈々とその系譜は続いているのだ。 文明と文明が影響を及ぼしあうということ、そのことを陸続きで確かめようとしたのが、この旅の目的だったが、ここでもその実際を見ることができたわけだ。 清涼な空気の中、遺跡を歩いているだけで気持ちいい。アクセスは悪いようなので、オリュンポス山に登りに来た人くらいしか立ち寄れないだろう。実際、ここで出会った人は、日本人がこんな場所にいるとはびっくりだと、驚いていた。 この後、リトホロという、オリュンポスに登る際の拠点となる街にも立ち寄ったが、特に何か見たわけでもないので、ここでは書かない。オリュンポス山にはいくつも山頂があり、様々なルートで登ることができるそうだ。ガイドブックによると、山小屋に泊まって2日かける必要があるとか。いつの日か、この神聖な山に分け入るために再訪しようと思う。 そんなことを考えながら。、180キロの道のりを2時間以上かけてエデッサまで帰った。 (2004年9月23日)
|
|
|
|
|
|
Gamecat.com
に掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。 |